日本の森林を想う @ 文・ひのゆうさく
緑資源機構の官製談合がらみで自殺者まで出た一連の事件は、日本の森林政策の闇の深さを感じます。国土の約70パーセントを占める森林は、日本の自然と文化の根幹です。にもかかわらず、そんな森林を食い物にしてきた政官財の癒着構造は、病害虫よりタチが悪いですね。
実は私が木頭村に訪れた頃、四国の歴史に詳しい方から、森林についてこんな話を聞きました。それは江戸時代から明治へと変わるとき、地方の大名が管理していた森林の一部が大政奉還と共に国有化され、一部が元の大名である貴族、華族の個人所有になった時の話です。維新を推し進めた土佐藩は、まじめに森林を国有林として奉還したことから、高知県は最も国有林の多い県となったそうです。一方、森林が国有化されるという情報をいち早く聞きつけた徳島藩主・蜂須賀氏は、森林台帳を焼き捨てて、領内の森林の多くを息のかかった家来の所有として分散させ、偽装することで国有化を免れたことから、徳島県は最も国有林の少ない県となったそうです。
さて、時代は代わり第二次世界大戦後、日本はアメリカの指導によって封建制度廃止と民主化政策の元、農地解放が行われました。しかし,、どういうわけか国土の約70%を占める山林は解放されなかったのです・・・。そのため、山林においては地主による利権構造が残され、林業従事者は自分の土地を持つことができませんでした。そして、戦後の復興需要で木材が高騰すると、各地の山地主は金と権力を手に入れ、多くが政治家になったのでした。その時から、日本の森林政策は一部の政治家たちのための錬金術に悪用されるようになり、林道やダム開発によって、国土の崩壊がはじまったといっても過言ではありません。
そんな中、歴史的に国有林が少なく、小規模な地権者が多い徳島県の山林は、他県のように森林開発が容易ではありませんでした。中には自然を守るために、ダム開発に反対する心有る地主もおり、行政の思い通りにはならなかったのです。だからこそ、木頭のダム計画も頓挫したと言うわけです。ほんとうに、何が功を奏するかはわからないものです・・・。まだまだ奥が深い日本の森林の話ですが、次回もつづきます。
|