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- 秋のそよ風が、朝夕はひんやりと冷たさを感じる急斜面の山々
- 、空には積乱雲が発生したかと思えばイワシ雲が流れ、青々と茂
- っていた焼き畑の稗や粟もすっかり実り、茎は灰色に変わり、穂
- は黄色みを帯びてくる。
近くの野に自生しているカヤ(ススキ)を刈り取り、それを乾
- 燥させて稗駕籠を編んでゆく、そのような多忙な時期に入ってき
- た。いよいよこれから毎晩のように、餅藁を槌の子(こづち)で
- 叩いて柔らかくし縄をなう。一人で一晩に百ぴろから二百ぴろ(
- 一ひろは両手両腕を一杯に広げた長さ)を作る。その縄で高さ約
- 120センチ、直径約1メートルの駕籠を編み、底や口は稗がらを
- 用いて蓋をする。そんな稗駕籠も一晩で3個ぐらいしか作れない。
- 稗の出来具合にもよるが、家によっては20個前後を収穫するので
- ある。その当時はどの位稗を蓄えているか、それが隣近所や親戚
- などの大きな関心ごとであり、注目の的であった。生きてゆくた
- めには穀物の確保は、絶対欠かせない条件のひとつで、稗駕籠は
- 大きな財産として高く評価された時代である。その頃一かご、約
- 一斗(18.0391リットル)と計算され、ある農家には何年
- もかかって稗駕籠が40個も蓄えられていると聴かされ、大きな
- 評判になったそうである。
- 朝の露が消えた頃から、稗の穂を一つ一つ鎌で切り取って、ぶ
- ら下げている駕籠に入れ、一杯になったら稗駕籠に移して家に持
- ち帰り、天日で完全に乾燥させ、納屋にしまっておく。しかしう
- っかりするとネズミに喰われたり、稗駕籠の中に入って巣を作り
- その上オシッコで汚されたりするので、保存には神経を使う。稗
- は穂のままで保存するので、20年や30年経っても少しかたく
- 感じるくらいで、味もあまり変わらない穀物であり、保存するの
- には最適だったと言えるだろう。年に一回くらいは稗駕籠のまま
- 天日に乾燥させる気遣いも必要だ。
稗米にするには、直径一メートル20センチくらいの木の箱で
- 深さは7~80センチ、底には竹のすだれが取り付けられ、その
- 中に稗の穂を入れて、下から焚き火で充分乾燥させ、杵や臼で搗
- きこなし、時には水車などを利用して稗米にする。そのあと、ケ
- ンド(稗米と糠を別々に区別する道具)でおろし、唐箕でさびて
- 糠をとればそれで完成する。しかしこのときの作業がおろそかに
- なれば、味が悪くなる。例えば太陽では充分乾燥できないので、
- 焚き火で乾燥させるわけだが、乾燥が不十分だと稗の皮が充分取
- れないので、食べる時口の中があれる感じがする。
稗の炊き方も要領がある。最初はお米や麦と一緒に入れて炊く
- と粘って炊けない。麦を入れて湯が沸騰してきた時、稗米をサッ
- と入れて混ぜるのがコツで、すぐ蓋をする。やはり長年の経験が
- ここでもものを言う世界のようだ。稗や粟の収穫の時期には、や
- はり稲や小豆に大豆、蕎麦、トウモロコシ、タカキビ、大根、ご
- ぼ、人参、甘藷に野菜などト取り入れの最盛期であり、猫の手も借
- りたいという季節でもある。稲や小豆などは「はで」(乾燥させる
- ために柱に竿を七、八本組み上げたもの)をつくり、それに稲束な
- どをかけ半月ほど乾燥させ、乾いた頃に脱穀するのである。その穀
- 物を食べようと、焼き畑と同様ひっきりなしにすずめや鳩、山鳥た
- ちがやってくる。また、野ネズミなども稲束の中に巣を作り、お米
- を喰らう。こうして収穫の終わる日まで、動物達との闘いが続く季
- 節でもある。
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