奥木頭物語(その7

   「稗や粟の収穫」     山村好一

 秋のそよ風が、朝夕はひんやりと冷たさを感じる急斜面の山々
、空には積乱雲が発生したかと思えばイワシ雲が流れ、青々と茂
っていた焼き畑の稗や粟もすっかり実り、茎は灰色に変わり、穂
は黄色みを帯びてくる。
 近くの野に自生しているカヤ(ススキ)を刈り取り、それを乾
燥させて稗駕籠を編んでゆく、そのような多忙な時期に入ってき
た。いよいよこれから毎晩のように、餅藁を槌の子(こづち)で
叩いて柔らかくし縄をなう。一人で一晩に百ぴろから二百ぴろ(
一ひろは両手両腕を一杯に広げた長さ)を作る。その縄で高さ約
120センチ、直径約1メートルの駕籠を編み、底や口は稗がらを
用いて蓋をする。そんな稗駕籠も一晩で3個ぐらいしか作れない。
稗の出来具合にもよるが、家によっては20個前後を収穫するので
ある。その当時はどの位稗を蓄えているか、それが隣近所や親戚
などの大きな関心ごとであり、注目の的であった。生きてゆくた
めには穀物の確保は、絶対欠かせない条件のひとつで、稗駕籠は
大きな財産として高く評価された時代である。その頃一かご、約
一斗(18.0391リットル)と計算され、ある農家には何年
もかかって稗駕籠が40個も蓄えられていると聴かされ、大きな
評判になったそうである。
 朝の露が消えた頃から、稗の穂を一つ一つ鎌で切り取って、ぶ
ら下げている駕籠に入れ、一杯になったら稗駕籠に移して家に持
ち帰り、天日で完全に乾燥させ、納屋にしまっておく。しかしう
っかりするとネズミに喰われたり、稗駕籠の中に入って巣を作り
その上オシッコで汚されたりするので、保存には神経を使う。稗
は穂のままで保存するので、20年や30年経っても少しかたく
感じるくらいで、味もあまり変わらない穀物であり、保存するの
には最適だったと言えるだろう。年に一回くらいは稗駕籠のまま
天日に乾燥させる気遣いも必要だ。
 稗米にするには、直径一メートル20センチくらいの木の箱で
深さは7~80センチ、底には竹のすだれが取り付けられ、その
中に稗の穂を入れて、下から焚き火で充分乾燥させ、杵や臼で搗
きこなし、時には水車などを利用して稗米にする。そのあと、ケ
ンド(稗米と糠を別々に区別する道具)でおろし、唐箕でさびて
糠をとればそれで完成する。しかしこのときの作業がおろそかに
なれば、味が悪くなる。例えば太陽では充分乾燥できないので、
焚き火で乾燥させるわけだが、乾燥が不十分だと稗の皮が充分取
れないので、食べる時口の中があれる感じがする。
 稗の炊き方も要領がある。最初はお米や麦と一緒に入れて炊く
と粘って炊けない。麦を入れて湯が沸騰してきた時、稗米をサッ
と入れて混ぜるのがコツで、すぐ蓋をする。やはり長年の経験が
ここでもものを言う世界のようだ。稗や粟の収穫の時期には、や
はり稲や小豆に大豆、蕎麦、トウモロコシ、タカキビ、大根、ご
ぼ、人参、甘藷に野菜などト取り入れの最盛期であり、猫の手も借
りたいという季節でもある。稲や小豆などは「はで」(乾燥させる
ために柱に竿を七、八本組み上げたもの)をつくり、それに稲束な
どをかけ半月ほど乾燥させ、乾いた頃に脱穀するのである。その穀
物を食べようと、焼き畑と同様ひっきりなしにすずめや鳩、山鳥た
ちがやってくる。また、野ネズミなども稲束の中に巣を作り、お米
を喰らう。こうして収穫の終わる日まで、動物達との闘いが続く季
節でもある。