環境と平和への道筋 

                 ひの ゆうさく

 原油の高騰、食料品の値上げ、バター不足・・・。きとうむらの製造コストも上がる一方で、このままでは値上げをするしかない状況に至っています。しかし、誰も喜ばず、誰も得をしない値上げの裏に、ほくそえんでいる人間がいると思うと、本当に腹立たしい限りです。というのも、これらの問題は経済原理の需要と供給のバランスによって起こっているのではなく、お金持ちのマネーゲームだったり、新エネルギーをめぐる大企業の戦略だったり、農業政策の失敗だったりするわけで、人々の暮らしは一部の人間たちの思惑によって振り回されているのです。いったい、今の経済って何なのでしょうか? 本来、すべての人々のためにあるはずの経済が、お金持ちの理論でルールが決められ、実体の伴わない経済システムを押し付けられているという、とても不自然な状態だと思いませんか・・・。
 地球の資源は全生物の共有物であり、土地や地下資源が個人の所有物だと決めたのは、所有している人間の勝手な言い草です。それがあたかも真理のように語られ、人々を洗脳し、欲望に駆り立てるこの経済システムは、地球からすればとんでもないことでしょう。結果、人間は自分たちで作った経済にがんじがらめにされ、地球環境を破壊し続け、滅亡するのかもしれません。しかし、これから生まれてくる子供たちにとっては、とんだ迷惑です。結局、この社会は、今さえ良ければ、自分さへ良ければいいという風潮がはびこり、正義や思いやりといったものが矮小化され、強いものがルールを決めるという、とてもいびつなものになっています。全世界で起こっているテロ、ニュースを騒がせる凶悪事件、それらの根本的な原因は、この社会のあり方にあり、この社会の結果として起こるべくして起こっていると感じるのは私だけでしょうか。
 8月は広島、長崎に原爆が落とされ、終戦を迎えた月だけに、平和についての行事が各地で行われます。しかし、平和もこの経済システムの下では、エコロジーと同じく、単なるキャッチフレーズでしかありません。経済戦略の中で戦争が計画され、多くの人々が殺される現実に目を向けたとき、この経済システム自体が平和とは逆の考えで作られてきたことが分かります。侵略と収奪の歴史を繰り返し、植民地政策や奴隷制度で急成長し、マネーゲームに明け暮れる世界経済。この経済のあり方を今一度考え直すことこそ、真に環境と平和への道筋につながるものだと思います。