奥木頭物語(その四)

   「稗や粟の種まき 」         山村好一

 整理の出来た急斜面の山々、朝早くから稗や粟を蒔くために、家族総出で焼き畑に向かう。各自が弁当を背負い山鍬を担ぎ、とてもみんな威勢がいい。現場に着くと父は早速、稗の入った袋から種を取り出し、右手で少しずつ、何回も何回も、手を振り振り蒔いていく。

「この切り株から上の切り株まで蒔いたよ」と家族の前で、再確認するように父は言う。時には母が代わって種まきをする。一度に蒔く範囲はおよそ1アールから2アールくらいだ。蒔いたところを山鍬で地面を軽く打ち起こしていく。稗は小粒なので目には見えにくい。それぞれ、個人個人の感覚で焼き畑を耕していくのだが、焼いたばかりの土地は、小さな木の根っこがたくさん残っているので土地が硬い。一年後は根っこが腐って、土地が柔らかくなっているので小豆や大豆、野菜など作りやすくなる。

  また、急斜面ほどうすく、平坦なところはすこし厚めに蒔くのがコツのようだ。何故なら、芽生えた稗や粟は、まっすぐ上に伸びるため、急斜面は密集しがちだ。密集すればするほど、出てくる穂が小さくなる。秋の収穫の時、一つ一つ鎌で刈り取るので、穂が小さいと非常に手間がかかり嫌われる。

  「好も蒔いてみろ」と母は種まきの体験をさせておこうと思ったのだろう。好一は父母の種まきの要領を見ていたので、心得たりと種まきをする。「この区間は俺のだぞう」と蒔いたところに杭を立てて印しをつける。自分の蒔いた稗や粟が、後日どのように芽生えどのように成長するのか、大変楽しみであり、また非常に興味のある場所になってくる。以後草取りも数回行うわけだが、毎年繰り返し耕作していくうちに、種まきの要領も会得して一人前の山の小作人として成長していくのだ。

 また、稗や粟のほかに、白菜や大根、ウリやカボチャもよく焼けたところへ植えておくと、大きく成長し予想以上の大きな収穫が出来た。それにササゲやエンド豆なども見事な出来栄えだった。その点、焼き畑で作った作物は害虫はつきにくいし、味も天地雲泥の差があった。第一水分が多く含まれ、甘みがあってしかも、独特のコクがあり野菜本来の味があり美味しかった。しかし、現代の農業政策では品質の改良を推し進め、味そのものが失われているようだ。採れた作物は洗剤で洗い、料理する時はいろんな調味料が加えられる。しかも界面活性剤の入った歯磨き粉が使われ、ひとそれぞれに舌の感覚が鈍り、甘い、辛い、苦いの三種類くらいしか、会得でいないと言う学者もいるくらいだ。このほか、酢い(すいい)、塩辛い、渋い、淡い、えぐいとあるようだ。野菜の持つ本来の味は、山作をした人でなければわからない。そうした人たちが非常に少なくなっているのは、至極残念である。