奥木頭物語(その二)

   「山焼き 」         山村好一

 昭和23年(1948年)春3月、稗や粟など蒔くために、今日は
山焼きの日である。午後3時頃10数名の人達が、雑木を切り伏せた山
を取り囲んだ。「よう乾いとるのう」一人の山師が言った。「ウン、こ
りやぁーよう燃えろう」隣のおっさんが相づちを打つ。こんな会話をし
ながら火道の葉っぱやゴミなどを、一斉に燃やす方へ吐き出し山焼きの
準備をする。手には鍬やほうきを持ち、腰には柄鎌や鋸切りをぶら下
げ、背中の弁当袋には一食分の飯と提灯や懐中電灯、それに水筒などが
入れてある。最悪の場合を考えているのだ。
「おーい!もうよかろう、始めるか」経験豊かな長老がこう言っ
て、マッチを擦って小さな火を燃やす。その煙の流れを見て風の方向を
確認し火付けの場所を決める。場所が決まればそこに、小さな榊の枝を
地面に差し御神酒を注ぎ、山の神や荒神様へ山焼きの無事安穏を祈願す
る。それが終われば7、8人の火消し役はそれぞれの持ち場につく。
「じやぁー火をつけるぞ」3人の山師が大きな松明に火をつけて、2人
は両方の山裾に分かれ、一人は真ん中に入り、枯れた草木に火をつけ
ゆっくりと歩く。
燃え始めると、風が俄に強く吹き出しごうごうと煙や炎が立ち上
り、そばにあった立木が激しく揺れる。その揺れ具合や煙の勢いを見な
がら、火付け人は焼く範囲を判断しながら作業を進める。時には燃え株
や、石ころが転んできたり、猪が突然飛び出してきりして、驚くことが
ある。火付け役はとても危険を伴う仕事でもある。
火消し役も、吹き付ける煤煙や炎をさけながら、火道の外へ落ちて
くる火の粉を消しにかかる。時には「早う来てくれ」と大声で叫んで
も、煤煙に遮られてなかなか通じない。鼻水と涙で顔はくしゃくしゃに
なりながら、火災を防ごうと必死だ。「心配ないかあー」少し離れた場
所で見張りをしていた同僚がこの雰囲気を感じてとんで来る。
焼きを始めてから6、7時間が過ぎ午後10時頃、やっと焼き終え
てみれば周囲は真っ暗、提灯や懐中電灯の明かりを頼りに山裾へみんな
集まってきた。所どころに燃え株の火が目につく。「よう燃えたのう」
と大勢の山焼きの連中が話合いながら、険しい山道を降りながら帰路に
つく。家では、数人のご婦人達がかいがいしく夜食の準備をして待って
いる。山焼きの人達は手足や顔を洗い、そのまま座敷に上がりご馳走に
ありつく。お酒や焼酎を飲みながら夜明けまで談笑が続く。慣例とは言
え相互扶助の精神がここでも生かされている。