奥木頭物語(その一)

   「山林伐採 」         山村好一

小学校の5年生になったばかりの春だった。
「好よ、明日から山へ行かんか」父に誘われて、髭無谷の山へ 登った。急な坂道、曲がりくねった細い道、 しかも片道約2時間はかかる。好一の背中の弁当袋には、自分の食べる二食分の弁当 と、菜箱(おかず入れ)それに「ヤスリ筒棒」(ヤスリや小さな金 槌、鋸の目立ての小道具)そのほか、鉈などがいれてあって、わりと 重い荷物になった。

父は「負い子」(物を背う道具)に大きい鋸や、斧の大小、クサビに自分の弁当などを背負って歩く。始めての山仕事に、好奇心の旺 盛な好一は、大小様々な木樹や巨木に遭遇するたびに、「あれは何んの木じゃあー」との問に、父は「これは栃の木で、その前の木は栂の木だ」と即座に答える。父の説明に納得しながら薄暗い密集林を通り抜けると、今度は明るく見通しの良い尾根に出る。この下の谷は地獄谷だという、一息ついて更に歩き出すと、突然足下から、山鳥が飛び立ちビックリしたと思ったら、薮の小蔭からウサギが逃げ出す。時にはホーッ、ホーッと不気味な声が林の中から聞こえてくる。姿が見えないので「何だありゃ」立ち止まって聴いていると、父は「あの声は青鳩の鳴き声だ」と言う。更に奥へ登って薄暗いやや平坦な密集林に入って行く。

 父が大きな木を切り倒す為には、急斜面では特に足場を造らなければならない。その足場を作るために、適当な杭やカズラの端を持ち、父の方へ投げたり 好一も一生懸命に手伝った。やがて足場が出来上がると、父はその足場に上がって、大きな斧で受け口を切り始める。あたりの静寂を破ってカーン、カーンと言う大きな音が響き、静かな林内にこだまする。鋸切りで切り始めて30分位たった頃、バリという不気味で大きな音がして、木が少し揺れる。高さは約25メートル以上もある巨木だ。

 やがてバリバリと言う音と音との間隔が非常に短くなった。「もう少しでかやる(倒れる)ぞ」父はこう言いながら、更に鋸切りに力を入れた。急にバリバリと大きな音を立て始めると父は素早く大木の根元から離れる。やがて物凄い勢いで倒れてゆく。2、3メートルも切り株から離れた巨木は、ドッサンと大音響と共に大地に叩きつけられ、次の瞬間、その風圧で木の葉がちぎれ、塵や埃が一緒に舞い上がり、思わず目を閉じる。その風圧を感じて目を開ければすかさず太陽の光が斜めに照射し、足下が急に明るくなった。上を見上げれば多くの蜂や蝶、そのほかの昆虫などが止まり木を失ない、方向性を見失って空間で彷徨している。その昆虫たちをねらって小鳥たちも飛んでくる。
一瞬の出来事とは言え、好一にとっては生涯決して忘れることの出来ない一瞬だった。「へえーすごいなぁ」と父の勇姿を見て好一は思った。 「おらも大きくなったら木樵になってやる」とノ
こんな光景に遭遇しながら、学校の休みなどは、喜んで山に登った。そうして、受け口の切り方や、斧や鋸の使い方などを習って伐採を始めた。堅い木や柔らかい木に、粘りのある木、など少しずつ覚え、自分の思った通りに倒れると自信も次第に湧いてくる。切り倒した雑木は枝を切り落とし、地面に細かく切り積み重い木を乗せて、乾燥させ山焼きにそなえる。ある時は山で転げてきた小石に当たったり、時には滑ったり転んだり、また鋸も木で詰めて取れなくなったり、道具の刃物の先が欠けて使えなくなったりもする。このような体験が「大人になってすべて生きていた」と気付くのは、もっともっと後のことである。

 春がくれば殆どの木々にも花が咲き蜜をためる。その蜜を吸って蜂や蝶などの昆虫たちも生き延びるが、しかし昆虫たちによってまた花と花の交配が行われ、その木々も子孫を残す事ができるのだ。甘いものが少なかったその昔、日本蜜蜂の造る「蜂蜜」の何と美味かったことか? またその時代には容易に手に入らなかった高価な品物だった。
今「きとうむら」で販売している山の蜂蜜を見るとき、買って食べる時、昔の生活や少年時代を思い出してとても懐かしい 。